「花燃ゆ」の第3話を見ました。
その中で、吉田寅次郎が妹の文に言う、このような台詞がありました。
「知行合一という言葉がある。知識だけじゃ意味がない。行いが伴ってこそ、その知識は意味がある。」
(ネットからどなたかの絵を拝借しました。)
「知行合一」は陽明学の言葉の中で最も知られていますが、
「言行一致」と理解されているケースが多いように思います。
これはそもそも「知っている」ことと「行うこと」を二分しています。
いわば「先知後行」(認識は先、実践は後)。
これに対し、「思い」と「行動」はそもそも一体で分けられない、
というのが王陽明の考えです。
例えば、ゴミが落ちている。
あっ、ゴミだ、と思う。
その時にはすでに手が伸びている。
若しくは思わずとも手が伸びている。
そんな経験は誰にでもあるでしょう。
これに対し、
ゴミが落ちている。
拾うべきだけど、どうしよう。
恥ずかしいし。
そう思って拾う、または拾わない。
この2つの違いは、なんとなく分かって頂けるでしょうか。
日常の中で、例のように、
ゴミを認識して拾うまでの間の葛藤がなければ、
心は常にすっきりした状態だと思います。
しかし、ゴミを拾わなければならない、という知識が先行しまうと、
拾わない自分はダメだ、という思いと行動の分離が起こり、
その結果、自己否定につながることもあるでしょう。
私自身、「言行一致」が義務感になり、
こうした分離が自分を苦しめてきたという経験があります。
この葛藤がなくなれば、日々伸びやかに生活できる。
陽明学を学ばせて頂き、確実に体感してきたことです。
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