2015年1月23日金曜日

なぜ陽明学の勉強会をやっているのか⑦~できないからやっている

さて、このお話は今日で最終回にさせて頂きます。

今日、税理士会からの派遣で、
税務署での確定申告無料相談に従事しました。

その会場でこんなことがありました。

ある60代と思われる女性が相談に来たのですが、
減価償却の部分がきちんと記載されていませんでした。

ここでは減価償却の説明は割愛させて頂きますが、
なかなか理解しづらい部分ではあります。

その女性は亡くなった夫から引き継いだこともあり、
計算の詳細は全く分からないとのことでした。

最初は普通に説明していたのですが、
何度も同じことを質問されたり、
「だから、そうじゃないって」ということが繰り返されるうちに、
私の心は波打ってきました。

イライラして、口調が変わってきたのが自分でもわかりました。

ここで良知が働く訳です。

おいおい、分からないから質問しているのだし、
理解してもらえないのはお前の説明のせいで、
わかるまで丁寧に教えるのが仕事だよ、と。

そこから我に返って、なんとか来年以降の道筋を伝えました。

仕事をしていても、日常生活の中でも、
こうした機会は多数あると思います。

しかし、良知の声に耳を澄ますことを意識しないと、
いつの間にか良知は曇り、感情に振り回されてしまいます。

逆に、良知を発揮するほど、
兆しを感じることができるようになる気がします。

私自身、この通りできていませんが、良知の存在は感じていますし、
「あとがき」にも書かせて頂いた通り、
良知は磨けば磨くほど光るもので、そこに完成はないからこそ、
仲間と一緒に学ばせて頂いています。

最初に、陽明学を勉強して何の役に立つのか、
という話をした気がしますが、仕事に役立つといった「副産物」はあると思います。

でも、これは目的ではなく、「副産物」だということは肝心ではないでしょうか。

最後にこんなエピソードを書いて、終わりにします。

「心学に入ります前は、何事につけても、いちいち為に、為にと、『為』をつけて考えたものでした。仕事に精を出すのは妻子を養う為である、信用を得たい為であるといったように、いつもこの『為』という言葉に縛られ、追っかけ廻されて、窮屈なせわしない思いばかりをしていました。ところが、心学の道に入ってからは、この『為』という曲者に捉われないで工夫修行をするようになりました。ただなんとなく勤めるばかり励むばかりです」
『真説「陽明学」入門』124頁 )

つまり、仕事に役に立つからやるのは私欲ですから、良知を曇らせる訳です。
今後も、ただやるという姿勢で心を正す会にしたいと思っています。

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