さて、このお話は今日で最終回にさせて頂きます。
今日、税理士会からの派遣で、
税務署での確定申告無料相談に従事しました。
その会場でこんなことがありました。
ある60代と思われる女性が相談に来たのですが、
減価償却の部分がきちんと記載されていませんでした。
ここでは減価償却の説明は割愛させて頂きますが、
なかなか理解しづらい部分ではあります。
その女性は亡くなった夫から引き継いだこともあり、
計算の詳細は全く分からないとのことでした。
最初は普通に説明していたのですが、
何度も同じことを質問されたり、
「だから、そうじゃないって」ということが繰り返されるうちに、
私の心は波打ってきました。
イライラして、口調が変わってきたのが自分でもわかりました。
ここで良知が働く訳です。
おいおい、分からないから質問しているのだし、
理解してもらえないのはお前の説明のせいで、
わかるまで丁寧に教えるのが仕事だよ、と。
そこから我に返って、なんとか来年以降の道筋を伝えました。
仕事をしていても、日常生活の中でも、
こうした機会は多数あると思います。
しかし、良知の声に耳を澄ますことを意識しないと、
いつの間にか良知は曇り、感情に振り回されてしまいます。
逆に、良知を発揮するほど、
兆しを感じることができるようになる気がします。
私自身、この通りできていませんが、良知の存在は感じていますし、
「あとがき」にも書かせて頂いた通り、
良知は磨けば磨くほど光るもので、そこに完成はないからこそ、
仲間と一緒に学ばせて頂いています。
最初に、陽明学を勉強して何の役に立つのか、
という話をした気がしますが、仕事に役立つといった「副産物」はあると思います。
でも、これは目的ではなく、「副産物」だということは肝心ではないでしょうか。
最後にこんなエピソードを書いて、終わりにします。
「心学に入ります前は、何事につけても、いちいち為に、為にと、『為』をつけて考えたものでした。仕事に精を出すのは妻子を養う為である、信用を得たい為であるといったように、いつもこの『為』という言葉に縛られ、追っかけ廻されて、窮屈なせわしない思いばかりをしていました。ところが、心学の道に入ってからは、この『為』という曲者に捉われないで工夫修行をするようになりました。ただなんとなく勤めるばかり励むばかりです」
( 『真説「陽明学」入門』124頁 )
つまり、仕事に役に立つからやるのは私欲ですから、良知を曇らせる訳です。
今後も、ただやるという姿勢で心を正す会にしたいと思っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿