2014年12月16日火曜日

「知っている」ということ①

昨日、掃除のお話の中で、このようなことを書いた。

「私も知っていた。ただし、知識としては。」
今日はこれについて、もう少し書いてみたい。

中国の古典『易経』は、占いの本と思われがちだが、
時の専門書とも呼ばれ、「兆し」について書かれている。



その中に「よく易を修める者は占わず」、つまり、よく易を学んだならば、
占わなくても先々を知り、行動の出処進退を判断することができるという文章がある。

どの時代もリーダーには洞察力や直観力が必要とされる。
いわば兆しを知る力だ。変化の前には必ず兆しがある。

と、このような話は様々な本にも書いてあって、今更、私が書くことでもない。
きっとこれをお読みの方も、そんなことは知っていると思っただろう。

しかし、知識として知っているだけで、本当に「知っている」のだろうか。

色々なノウハウ本があるかもしれないが、
それを読んでも「経営者には洞察力や直観力は必要」という知識はつくが、
「洞察力」や「直観力」そのものを手に入れることはできないだろう。

では、どうしたら身に付くのか。さらに鍛えることができるのか。
ここに「心学」と呼ばれる学問が求められる所以がある。

<つづく>

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