2015年11月24日火曜日

5 日常生活即学問

猫が我が家にやって来て2か月半ほど経つ。

当初は、寝室になっていた和室が猫部屋になっていたのだが、
畳が爪で傷だらけになること、
この部屋にある神棚に上ってしまうことなどから、
先日、猫を別の部屋に移した。

改めて、和室に戻ったのだが、ここであることを決めた。
それは、洗濯物を片付けるということだ。

えっ?そんなことと思われるだろうが、
これができていなかった。

先日、陽明学研究家である林田先生とメールでお話しさせて頂いていた際、
仕事が修養よりも上になっていないかと指摘して頂いた。

自分ではそのつもりもなく、心の動きを観ているつもりだったのだが、
よくよく振り返ってみると、良知(高次の自我)の声を聴いて満足して、
それを発揮していない、つまり、行動していないと気付いた。

(私心であるかどうかは)あなた自身が知っていることですから、よくよく細かく省察克治しなければなりません。
ただ、我が心がほんの少しでも偏っているなら、正しい是非の判断を曲げることになるということを、常に恐れることこそが、格物致知なのです。

(『真説「伝習録」入門』180~181頁)

どこかで小事が疎かになっていたと反省した。
心の声が聞こえたら、それをほんの少しでも発揮する。

心の声に敏感になり、無視しないようにしないと、
気づかずに仕事にも日常の他の場面にも雑さが出てしまうと感じた。

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