先週、面白くない仕打ちをされ、怒りが収まらないことがあった。
普段そんなに感情が乱れることがないのだが、
その日は寝るまで腹が立っていた。
陽明学では、感情は心に当然にあるべきもので否定しない。
ただ、感情が何物かに執着することを否定する。
(七情は)みな人間の心に当然にあるべきものなのです。
ただ、大事なことは、良知をはっきりと認識することです。良知はたとえてみれば、太陽の光のようなもので、その存在する場所を指摘することはできません。(中略)
雲が太陽を覆って妨げるからといって、天に雲を生じさせないようにするわけにはいきません。それと同じように、七情も自然のままの活動にしたがっているなら、これまた良知の作用なのです。それを、善とか悪とか区別することはできないのです。
しかし、七情が何物かに執着して、不自然な活動をするようなことがあったら、これをはじめて人欲というのです。そして、それが良知を覆い妨げることになるのです。しかし、七情が何物かに執着することがあれば、良知は自然にそれを覚ることができ、もし覚れば、その覆いはすぐになくなって、本来の姿を回復します。
(『伝習録』下巻、『真説「陽明学」入門』222頁より)
感情が揺れていない状態が分かるから、感情が揺れていると分かる。
逆に感情が揺れたから、感情が揺れていない状況を確認できた。
思いが生じないと「未発の中」はわからないらしい。
こうして心がどこかに執着する状態があって、
そうではない状態を感じることができるということもあるのだと体感した。
感情を否定しないとはこういうことだろうか。
後日談。落ち着いてわかったこと。
思い通りにいかなくて怒ったのは、自分の私欲だな(笑)。
大事なのは結果でなくプロセスなのに、結果を目的としていた。
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