2015年5月29日金曜日

土俵の真ん中で相撲をとる

今日で5月の営業日は終わり。
3月決算の会社が多いから、申告期限の5月は、
一般的に会計事務所は忙しいと言われる。

そんな中、今月末は来月が期限の相続税の申告の仕上げをした。

相続税は亡くなった日から10ヶ月で申告・納税する。
亡くなってすぐに依頼を頂くこということはほとんどないので、
おおよそ半年から8ヶ月ほどの期間で仕上げることになる。

聞き取りや資料の収集のために、
何度かお会いして、話を伺いながら進めていると、
半年くらいはすぐに過ぎてしまうものだ。

さらに、当然のことながら、集めた資料や情報から、財産の評価をし、
申告書を作っていくから、所内作業もなかなかのボリュームだ。

今回はおおよそ段取り通りに終了したが、
振り返るともう少し余裕を持ってやれたら良かった。

京セラ創業者の稲盛和夫氏には様々な名言があるが、
その中で私が好きなもののひとつは、
「土俵の真ん中で相撲をとる」というものだ。

解説を引用する。

 「土俵の真ん中で相撲をとる」とは、常に土俵の真ん中を土俵際だと思って、一歩も引けないという気持ちで仕事にあたるということです。
 納期というものを例にとると、お客様の納期に合わせて製品を完成させると考えるのではなく、納期の何日も前に完成日を設定し、これを土俵際と考えて、渾身の力をふり絞ってその期日を守ろうとすることです。そうすれば、万一予期しないトラブルが発生しても、まだ土俵際までには余裕があるため、十分な対応が可能となり、お客様に迷惑をおかけすることはありません。

『京セラフィロソフィー』154頁)

私も例外でないが、土俵際まで来て初めて火事場の馬鹿力を発揮したりする。
しかし、土俵際かどうかというのは所詮は主観だ。

どうして余裕があるときに全力でことに当たれないのか。
これは、期日のずっと前と直前を分けて考えているということだろう。

ここでも二元論の弊害を感じる。

2015年5月28日木曜日

『ビジネススクールでは教えてくれないドラッカー』

「TOPPOINT」という、「一読の価値ある新刊書」を紹介する雑誌を定期購読している。
毎月、10冊ほどの本が紹介されるが、自分では絶対手を取らないであろうジャンルも多く、
軽く読んでアンテナだけは立てておこうと思わされる。

今月、 『ビジネススクールでは教えてくれないドラッカー』という、
私に読んでくれと訴えているようなタイトルの本があった。
(内容的にも好きな話だった。)

短期的な利益・株主価値の最大化は社会にとって良くないという考えがコンセンサスになりつつあるが、いまだにMBA教育では、経済合理的マネジメントが有効とされる。
経営者がそのような方向だと、長期的利益でなく短期的利益、全体を無視した個別合理性を追求して失敗する。
そうならないために必要なのが、ドラッカーの哲学的で人間主義的マネジメントだ。

ドラッカーの処女作『「経済人」の終わり』では、
なぜナチス全体主義が台頭したのかがテーマだったが、
彼の根底にあるのは、「人間の自由と責任の原理」。

ドラッカーのこうした人間・社会重視の視点があるからこそ、
彼のマネジメントやマーケティング・イノベーションが魅力的に写る。

目次を見たら面白そうだし、読んでみようかな。

2015年5月27日水曜日

連携と私欲

来月5日、かねてから設立準備をしてきた、
「東日本中小企業再生協同組合」のお披露目会を開催する予定で、
メンバーを中心に準備を進めている。

この組合の特徴は、地域に密着して事業再生を行うことで、
地域のリソース(資源)を活かした問題解決を目指している。

この協同組合もそもそも、地域のリソースを活かした問題解決手法だ。

例えば、我々は税務会計分野の問題解決に強みを持っているが、
当然、それだけでは事業再生を完遂することはできない。
しかし、我々だけですべてはできなくても、他の人の強みを活かすことで、
お互いのリソースが活かされる。

これが中小企業の差別化に欠かせない「連携」だ。

陽明学を勉強して、自分がいかに自己中心にものを見、考えているかを体感した。
そして、それが分かって、周りを活かすことを学んだ。

私欲を挟まずに、ただ観れば、自分の内にあるものも外にあるものも、
お客様や地域などの問題を解決するためのリソースなのだ。

陽明学を学んだからこそ、ドラッカーの考えをより理解できた気がする。

2015年5月26日火曜日

すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる

日経新聞に池上彰氏の『池上彰の大岡山通信 若者たちへ』という連載がある。
昨日が連載第46回目で、タイトルが「アメリカにみる大学の将来」。

内容をまとめると、このような感じだ。

米国の大学といえば、リベラルアーツ教育に力を入れていることで知られるが、
最近は様相が変わってきたらしい。
学生に教養を与え、啓蒙するという伝統的な場から、
最新の資本主義の目標と需要を満たせるような人材の育成に力を入れるようになった。
日本でも同様の傾向がみられるが、「社会から求められる学部」ばかりつくっていたら、
社会からの要請がなくなった途端、存在の意味がなくなってしまうのではないか。

このような問題提起をした後、慶應義塾の元塾長、小泉信三氏の発言を取り上げる。

「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」

先週、高崎市倫理法人会様で講話をさせて頂いたが、
その際にお話しさせて頂いたのは、以前も書いたことがある、
スティーブ・ジョブズの「点と点を結ぶ」という話だ。

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。

自分のこれまでの活動の根っこには、大学時代に「たまたま」出会った教育がある。
すぐに役に立つ勉強だったかと問われれば、確実に「ノー」だが、
その情熱を傾けた寄り道のおかげで、
自分の人生を考える物差しをもらったように思っている。

遊びや隙間は大事だ。

すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる。
何かを学ぶ際に頭に置いておきたい言葉だ。

2015年5月25日月曜日

心が動いたから分かったこと

先週、面白くない仕打ちをされ、怒りが収まらないことがあった。

普段そんなに感情が乱れることがないのだが、
その日は寝るまで腹が立っていた。

陽明学では、感情は心に当然にあるべきもので否定しない。
ただ、感情が何物かに執着することを否定する。

 (七情は)みな人間の心に当然にあるべきものなのです。
 ただ、大事なことは、良知をはっきりと認識することです。良知はたとえてみれば、太陽の光のようなもので、その存在する場所を指摘することはできません。(中略)
 雲が太陽を覆って妨げるからといって、天に雲を生じさせないようにするわけにはいきません。それと同じように、七情も自然のままの活動にしたがっているなら、これまた良知の作用なのです。それを、善とか悪とか区別することはできないのです。
 しかし、七情が何物かに執着して、不自然な活動をするようなことがあったら、これをはじめて人欲というのです。そして、それが良知を覆い妨げることになるのです。しかし、七情が何物かに執着することがあれば、良知は自然にそれを覚ることができ、もし覚れば、その覆いはすぐになくなって、本来の姿を回復します。

(『伝習録』下巻、『真説「陽明学」入門』222頁より)

感情が揺れていない状態が分かるから、感情が揺れていると分かる。

逆に感情が揺れたから、感情が揺れていない状況を確認できた。
思いが生じないと「未発の中」はわからないらしい。

こうして心がどこかに執着する状態があって、
そうではない状態を感じることができるということもあるのだと体感した。

感情を否定しないとはこういうことだろうか。

後日談。落ち着いてわかったこと。
思い通りにいかなくて怒ったのは、自分の私欲だな(笑)。
大事なのは結果でなくプロセスなのに、結果を目的としていた。