2015年2月3日火曜日

観る①

本の内容は自分の経験や知恵の質的な変化に対応して変化すると思う。

同じ本でも、数年前に読んだのと今読んだのでは異なる本に感じる、
というのは誰にでもあることだろう。

先日、『戦略は直観に従う』という本を読み直していたら、
以前読んだ時も面白かったのだが、よりクリアに立体的に見えた。

この本の中に、ナポレオンの自叙伝の言葉が出てくる。

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私は決して自分の思いどおりに動いたことはなく、常に状況に左右されてきた。

私は明確な考えなど少しも持っていなかった。というのは、頑として状況をコントロールしようとする代わりに、状況に従うことを選択したからである。

実際に、私は、自分で自分の行動を決定してはいない。というのは、自分の方針にあわせて状況を変えようとするほど、私は非常識ではなかったからだ。逆に、私は予測される未来の状況にあわせて、自分の方針を変換したのである。

(同書102~103頁)

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ナポレオンは勝機がある戦いのみに挑み、そうでない場合は逃げた方が多かったそうだ。

そんな彼が一度だけ、上記のような方針を見失って、
目標を定めて戦いに挑み、敗れて、以降、没落の道に向かうことになる。
モスクワへの行軍である。

<つづく>

2015年2月2日月曜日

「褒められること」について

たまたま異なる場所で、立て続けに「慎独」という言葉を聞いた。

この言葉は『大学』に出てくる。
『大学』は四書の中の1冊で、儒学の入門書だ。

その内容を一言でいえば、「修己治人」。
自らの心を正すことと人を治めることはイコールだということだ。

その中で、このように述べられている。(超訳@小澤)

凡人は一人で人目につかない所で悪事を働く。
人前では悪事を隠して善いところを見せようとする。
しかし、人はそれを見通すから、そんなことをしても役に立たない。
だから、「君子は必ずその独を慎むなり」。
(立派な人は人が見ていようがいまいが、自らを欺くことがない。)

以前、スラムダンクを読んだとき、印象的な登場人物がいた。
それは福田というキャラクターなのだが、
彼の台詞で記憶に残っているのが、
「もっとホメてくれ」というようなものだった。

私も時々、そういう気持ちが心の中に湧いてくるのは事実。
(そういう自己顕示欲に笑えることがある。)

しかし、褒められるからやるのではない。
やった結果として、たまたま褒められることもあるかもしれないが、
褒められることが目的ではない。

だいたい褒められたりすると、勘違いして、なすべきことをせずに、
褒められることが独り歩きして自己目的化したりする。

賞賛や褒め言葉は麻薬みたいなものかもしれない。